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<新しい場所へ>

 
 

南丹市日吉で作陶されている、前野直史さんを訪ねました。前野さんは京都の市内出身で、学生時代は哲学を専攻されていましたが、学生時代に柳宗悦や河井寛次郎の民藝の精神に触れ、また焼き物という仕事に大いに惹かれていくことになり、丹波立杭の窯元【清水俊彦氏の元】で修行を始めます。

もう十年以上の付き合いになりますが、毎年精力的に仕事をされています。ただここ数年は、ご家族のこと、また場所を移されること、人生の転機に向っていく前野さんの今を、改めて知りたくなり、数年ぶりに工房へ伺いました。

 

稲穂が掛けられており、同じ季節、同じ土地で過ごしているのだと感じます。台風一過とはならず、少し曇り空の中、ただ綺麗な黄金色が目の前には広がっていました。

いつも通りに玄関口では、前野さんが長年連れ添っているハク(白い猫ちゃん)が迎えてくれます。丁度、おなかを空かせていたのか。ハクは人懐っこく足元にスリスリと擦り寄ってきましたが、前野さんから餌をもらい、お腹が満たされると、すぐに窯上の屋根に上がり、バタバタンと大きな音を立てながら、自由に駆け回るのでした。

 

前野さんは、今の南丹日吉から、美山に場所を移されます。美山は南丹から約40分ほど北にあがったところにあり、かやぶきの里と呼ばれる景観の美しい茅葺屋根の建物が並び、里山が広がる場所です。

 

数年前にトタンを被せていた屋根が台風で飛んでしまったそうで、どうせ改修して住むなら、一層費用をかけてでも茅葺に葺き替えをしたいと決心し、屋根を一から直したそうです。本当大変な作業と費用だと思います。

 

 

現在、前野さんは窯を二つ使いながら、焼き物を作っています。

左右に二つ窯が並んでいるのですが、まず左の窯は、立杭の窯のような傾斜を活かしたカタチにしたいと築窯しました。窯の中は通常の近代的な窯と比較すると、少し湿度を保ち焼成するとのこと。

蛇窯ではなく、立杭の穴窯に近いです。

 

 

右の窯は現代の焼き物を作るのに適した、湿度の無い、焼成の効率が高そうな現代の登り窯です。

 

殆どの陶器は、右の窯を使用して作りますが、立杭ならではの昔の窯も新たな場所でも作りたいそう。

 

修行された丹波立杭も、昭和中期までは茅葺の民家が点在しており、美山に移る理由も、なんだかその当時の風景に恋い焦がれているのようにも感じました。なんせロマンチストなんで。

 

50代を半ばにして、場所を変え、その先に何を目指すのでしょうか。世間一般的に、厳しい手仕事の世界の中である程度、成功しており、現状でも満足のいく生活を送れるのではないかと想像します。

 

 

もともと有名になりたいとか、売れたいというようなことで始めた仕事ではないと言われますが、人間が持つ欲求としては、満たされる重要な部分では無いかとも思います。現状に満足することなく、大きなお金や労力をかけてでも新たな場所に移ろうとする理由、それは前野さんが焼き物をやろうと思い、始めた青年の時代から、変わっていない不変的なものづくりに対しての情熱や、純粋な思いとしか言いようがありません。

 

 

丹波立杭、また800年の間そこから生まれてきた丹波焼という焼き物の魅力は、一人の青年を約30年にわたり青年のままに今も生かしているのかもしれません。

 

 

感化されはじめたのか、私自身もなんだかロマンチックなことを言い始めましたが、前野さん以外にも、同じような方々に出会ったことがあります。生きていく限り、その追及が終わることは無いのでしょう。

 

<轆轤場には、好きなものが描かれているポスター・写真・版画などが飾られています。>

<英国のslipwareとアメリカのredwareの違いや、古瀬戸、苗代、弓野と二川の違いなど説明してくださる前野さん、本当に焼き物が好きな方です。>