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<自然なままに>

 

十数年前に訪れたラオス、バスの車窓から偶然見かけた、綿畑や村人達の綿織物を作る姿に惹かれ、村の生活や、綿織物の仕事に飛び込んだ彼女は、今の時代では見ない、自然体を持ち合わせた人。

一年の半分以上をラオスで過ごし、もう半分を丹波で過ごす生活は、もう十年以上続いています。

気取らず、奢らずに自然体で仕事に向き合う同世代の彼女に話を聞きました。

 

大学で染織を学んだ前川さんは、たまたま出会ったラオスの民族ごとに独自の個性を持つ、現地の織物にほれ込み、2004年から通い続けています。現地の職業訓練センターに勤めながら、徐々に村の生活に入ってくことになった前川さんは、暮らしの中で自分達が自分達の生活に必要なものを全て作る自給自足の生活・手仕事に出会い、村の中での仕事の“評価”、人間のそのままの能力を見られる事に、刺激を受けます。近年の経済発展で、市場に中国向けの既製品が出回り、昔ながらの手作業の織物文化が揺らぐ様子を心配し、とりわけ同国北部の村のタイドン族の女性たちと、綿布の製作を続けてきました。

 

染織は全て手作業。栽培した綿から糸を紡ぎ、草木や泥など自然の染料を使っている。「全ての行程が手作業だからこそ肌触りも柔らかいのが特徴です。伝統的な技術はまだ残っているが、市場で布を買う人も増えており、いずれ消えゆくかもしれない」と話している。

 

ラオスでの綿作りは、先ず山を焼き払い、焼畑した場所に綿を植えます。そして1年ごとに綿畑を変えます。

手仕事は生活の中で一番重要であり、果たして簡単にお金に替えれるものなのか、大変時間がかかることなので、どうしても強く仕事の在り方は意識してしまいます。現地で良い仕事に出会い、欲しくても、分けてもらうことは困難です。それは彼らが生活の中で一番大切にしているものだからです。

綿花から種を取り出す作業も、専用の手回し機で、種だけを取り出します。その作業は本当に軽妙で、簡単なようですが、逆に、このやり方でないといけないのかと思うくらい、なんだか手間だとも感じてしまいます。ローラーを綿花が通る度に、コロコロと種だけが綿から綺麗に分離されて、下に零れていきます。

 

子供の頃から死ぬまで、死んだときに布がどう評価されるか。そんな原始的なラオスの村での考えの下、前川さんの仕事にも一切の妥協がありません。しかし、それは意識したものでなく、それが当たり前なのです

綿を作る事は、鉈打ちから始まり、消し炭も竹を切り倒し焼いて作ります。染めに必要な灰汁を、灰汁は山から石灰を取りに行きます。染めに必要な酒は、米を作ることから、そして道具も全て作ります。

 

一つの織物を作り上げるのに、どこまでも果てしない時間を費やし、ずっとそうやってきたからという単純な理由しかない環境の中でやっていると、より無意識に近づき、自然体のまま仕事に向き合うのだというのも府に落ちるところがあります。織り上げた布には、野暮ったさもありますが、それを超える純粋さを感じます。日本人である彼女が製品として最低限を維持し、ストールや敷布として機能するようになっていますが、そこに至るまでに関わった人間の生命力を感じずには居られません。

 

<弓のような道具で、弦を弾くと、綿が解けていきます。>

<縫製や手直しは日本に帰ってきてからの前川さんのみの作業です。>

前川さんの布はMALLにてお求め頂けます。

ご興味ある方は、是非、ご覧ください。