une 001

<窯を訪ねて>

 

丹波で作陶する、柴田雅章さんの窯づくりを手伝わせていただく大変貴重な機会を頂き、柴田さんの窯に対しての拘りや思い、また初窯の時の、懐かしくも大変貴重なお話を伺いました。

今田町での修行後、他所者はこの土地では中々、買える土地を見つける事が出来ず、苦労したと聞きます。

村の自治会に参加する際し、どのような人間で、どのような仕事をするのか、全てを説明し、村の皆さんの合意が取れて、ようやく村に入ることが出来た時代。今も少しその名残はあるように思います。

幸運にも丹波篠山の鷲尾に家を持つことが出来て、ようやく仕事(陶芸)を始めることが出来ました。

村に入ってくる人もまずなかった。この村でも数百年ぶりだそう。都会で育った僕らにしては、なんだか住みにくい村だなとも思った。村人も農業じゃなく、焼き物をやる人が入ってくるなんて相当戸惑ったと思います。

土地の持ち主が果たして他所者に容易に売っていいか、村人達の間で会議になったのですが、隣接する土地所有者の同意と総代のハンコがいるので、村の集会所に、全員集まってもらい、説明会をしました。

 

例えば、合成洗剤のような、環境に悪い生活用水は流さない等、基本的な事から話をしました。

 

窯には煙突がありますが、煙が有害ではないか等、焼物の長い歴史の中で仕事や窯の煙で問題になったことは、例えば京都の市街地等、他では無く安全であること等も説明し、村人全員の同意を得た上で、総代(村長)の許可を頂きました。

 

46年前、初窯の話になります。

窯詰めの際は、まるでチャップリンの映画「モダンタイムズ」のように早送りでバタバタとしたコミカルな動きだったような気がします。当初の窯出しの予定日からは遅れてしまい、本当は窯を焚き終わり、1日寝かせてから出したかったのですが、窯焚きの終わった日から、皆が様子を見に来てしまいました。十数人も来てしまい、本当に大変でした。もう少し待って欲しかったのですが、皆から早く出せ出せと言われ、渋々まだ熱い窯から作品を出しました。

 

 

作品は大変よく焼けていました(焼き上がりが良かった)。焚いている時からわかりましたが、しっかりと温度が上がってくれました。しかし幾つかは、窯から出してる最中に急に冷めたことで、品物がばんばん割れてしまいました。

※急激な温度の変化により、陶器が伸縮に耐えれず割れてしまう。

 

その夜に、師匠の故:生田和孝さんが来てくれました。色々と話をして、修行時代から、自分が作りたいと思っていたものをとにかく思いのたけ全てやりましたが、師匠からはもう少し整理するようにと言われ、いろいろやりすぎたとも少し反省もしました。

<手前:柴田さんが長年使ってきた窯 後手:新たに築窯したもの>

窯は、炙り(一の間が、約800度くらいの温度にあがる迄)の作業から始まります。焚口の所から、当初は重油のバーナーを使って炙って、温度をあげていくのですが、温度が上がりきる迄に、まる一日は炙りのみの作業になります。そういえば初窯の時、着火するバーナーが、最初に壊れてしまい、急遽、知人に借りに行きました。後々には、最初からも薪でやるようになりましたが。

 

窯を作る時ですが、窯の構造に対しては、主に食器類を作っていきたかったので、丹波式でなく、瀬戸の窯の形にしました。部屋数は最初から三部屋にしたかったのですが、二部屋でした。5、6年経ってから増築しました。

 

最初から瀬戸の職人に作ってもらいました。今は日本全体にそういう職人はいませんが、昔は優秀な職人がいました。現在では、登窯の需要が無くなり、登窯を作れる本格的な職人は居なくなってしまいました。

 

ですので、現在窯を作っていく事は、誰かの作っているのを見るか、少し覚えてというくらいで、基本の構造や、材や土の適正をわかる専門の方はもういないのです。

 

九州は独自の築窯方材料で作る職人がいます、内地は基本、耐火煉瓦を組んでやっていきます。平山さんや栗田君も同じ方法です。※平山元康さん、栗田荘平さん

 

但し、基本的にバランスがそれぞれに違います。(奥行・幅・高さ、色んなところが微妙に違う)

 

窯でやるという事は、毎回平均して同じ焼き上がりの品が取れないということです。しかし、それが美しさや、思いがけない面白さを生んだりすることもありますが、そもそも簡単に窯自体も作れるわけではないので、本当に難しい仕事だと感じます。

私の所で新しく作った窯は、瀬戸にはもう材料が無く、土岐から古い煉瓦を取り寄せ、昔の職人さんの作った窯を真似ながら作りました。耐火煉瓦と違って、温度の浸透率が高いものでなく、じわりと温度が上がっていき、冷めづらいです。そんな窯の材料はもう今の世の中には少ない、無いかもしれません。

自分の焼き物は、そのような材料でないと、うまく焼き上がる事に繋がらないと思っています。

 

 

現代では、電気窯などは、コンピューターを使って、無駄なく出来る、焼成温度の高さとかも随時、簡単にコントロール出来る利便性があるのだけど、そもそもが僕らが作るものとは違います。

 

焼き物に関しては、色々な考え方があります。例えば、穴窯に関しては、表裏で焼き色が違ったり、形が歪んで変形したり、面白いものが出来ます。昔はそれしか、技術が無かったのだから仕方ないのだけど。

 

 

今の陶工の中にも、昔の焼き物のような魅力を追い、それをあえて狙ってやっていたりもするのだけど、残念ながら、現代の人たちには、その当時のような人間力も無く、造形する技術も伴わないので、憧れとしては良いのだけど、体現するのはかなり難しいと思います。

 

良いものを生み出すということは、ものを作っていく側の、人間(生活・環境・生命力)の問題で、ある程度、昔のもののように、焼き色や形ができれば良いという問題ではない。本当に難しい、、、造形は。

 

鈴木君の焼き物は、昔の焼き物のような魅力を求めているのでしょう。自分は不完全だからそれをやっていると言っているけど、ある程度結果が決まりきったものでないものを狙っている。※鈴木照雄さん

 

反面、私は平常なもの、日常品を作りたい。その上で私にとっては、今の窯が丁度良い、最適な構造になっています。どこの視点でどこで落としどころを作るかは、結局その人次第、その人となりだと思います。

 

<新たな窯には改良を加えて>

窯と品物のこれからが大変楽しみです。